土産・特産品

土産・特産品

地場産業の土産・特産品のご紹介

八幡こんにゃく

赤こんにゃく

 全国的に見てもこの珍しい赤こんにゃくは、派手好きな織田信長がこんにゃくまで赤く染めさせたと言われる説や近江商人が全国を行脚している際にこのような奇抜なアイデアを思いついたと言われる説などがありますがはっきりしたことは分かっていません。
 ただ、近江八幡では昔からこんにゃくは赤色とされており、冠婚葬祭や学校給食等で幼い頃から生活と共に赤こんにゃくは存在します。この赤色は唐辛子で染めていると誤解されがちですが、三二酸化鉄という鉄分で染められていますので健康的にも優れた食品です。
やや食感に特徴を持つ赤こんにゃくの調理方法は普通のこんにゃくと同様に調理加工できますので、是非一度歴史を感じながら食してみてはいかがでしょうか。

近江八幡の伝統的食材の「赤こんにゃく」。鮮やかな赤色のコンニャクは、鉄分によって着色されるもの。安土城下で盛大な左義長まつりが催されたとき織田信長が赤い衣装を着たことが、その発祥とも言われています。
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湖魚料理(佃煮)

湖魚料理(佃煮)

 500万年の歴史、670平方キロの面積、275億トンもの貯水量、50種類を超す固有種を含む1000種以上の動植物が生息し、近畿1400万人の水瓶である琵琶湖は今も変わらず私たちの生活に密接に関わっています。食生活面でも独自の文化を生み出してきましたが、その代表格は日本三大珍味の一つに数えられる「鮒寿司」で平安時代の文献にも朝廷に献上されていたことが記され、江戸時代には蕪村が「鮒寿しや 彦根の城に 雲かかる」という俳句を詠んでいます。
乳酸発酵による独特の風味と香りの「鮒寿司」は酢の無かった時代に作られた古代寿司の製法を今に伝えるものであり、現在の寿司の原型と言われています。その材料は二ゴロ鮒と呼ばれる鮒で子を持つ4月から5月頃のものを使用し、内臓を取り除き水洗いし塩で漬け込んだ後、約4ヶ月間を経て食卓に上がります。
滋賀県は平成10年に「鮒寿司」を県の無形民俗文化財に選定しました。
琵琶湖産のウロリ、モロコ、シジミなどを使った佃煮やニゴロブナを使った、ふな寿しなどたくさんの魚料理が楽しめます。


近江牛

近江牛

 いわずとしれた滋賀の代表名物「近江牛」。
仏教思想の影響で日本では肉食は禁じられていましたが、近江の国で最初に食したのは高山右近と言われています。
江戸時代においても、彦根藩が幕府に献上する太鼓制作のための牛革確保のと殺を認められた唯一の藩であったことから、しだいに味噌漬けや干し肉として加工され食されるようになっていきました。
一般に食されるようになったのは明治5年に天皇が牛肉を食したことの報道がなされたことから始まりました。
一般的に近江牛は鈴鹿山脈を源流とする良質の水質と肥沃な大地に育まれた東近江地域で生産されており、その特徴は、全体的に柔らかい、肉繊維の中に含まれる脂肪部分(霜降り)が良い、肉そのものの香りが良い、といったことが上げられます。
その美味しさは近江商人の活躍によって全国各地に広がり、今も昔も変わらず多くのファンを有しています。

とろけるようにまろやかな独特の風味、柔らかな肉質と霜降りの豊富さに人気があります。詳細は こちら


でっちようかん

でっちようかん

 近江商人ゆかりのお菓子「丁稚羊羹」。
この名前の由来は、近江商人発祥の地「近江八幡」から全国へ丁稚奉公に出た子供たちが藪入りで帰郷した折りに奉公先への主人へお土産として持ち帰ったことから言われています。
竹皮に包まれたこの素朴なお菓子は、かの有名な民俗学者「柳田国男」からも「これぞ近江の味」と絶賛されました。

小豆あんと上白双糖と小麦粉を混ぜ合わせ、竹の皮に包み蒸しあげた素朴な味の蒸し洋かんです。その手作りの味は懐かしい故郷の味がします
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伝統工芸品

八幡靴

八幡靴

日本有数の高級手縫靴で、伝統の技が美しい。
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竹細工

竹細工

 滋賀県は竹の日本三大産地の一つに数えられ県内には多くの竹藪が今も存在しています。
これは、支流を含め千数百の河川から琵琶湖に注ぎ込むのに対し、流れ出るのは瀬田川のみのため、氾濫をおそれた昔の人達が地盤強化のため竹を植えたのだと言われています。
 竹製品には3年から5年経ったものを秋から冬にかけて伐採したものが使用されます。製品にするためにはそれぞれの竹が持つ大きさや歪みといった個性に応じて加工していくのですが、最も難しい工程は竹を真っ直ぐにする「ためる」というものでこの作業には長い経験とコツを要した熟練職人のみが携わります。
 竹製品は伝統技術の中にも、成長の早さを生かした竹の割箸や竹の紙、脱臭能力を活用した竹炭、等の製品が開発されるなどして新たな竹の魅力が見つめ直されています。竹窓と言われても、一般の人は直ぐには理解できないと思います。
 100年~150年経った煤竹や錆竹・純煤竹・黒竹・他など使って火であぶりながら丸い竹を自在に曲げて丸窓や角窓に仕上げていきそれを室内の壁などに埋め込んだ物を【飾り窓】といいます。
 テレビなどでも紹介されたりしますが、曲げるのを見ていると簡単そうに見えますが竹は1本1本性質がちがうので、この竹が曲がったからこれも曲がるとは限らないのです、それを持っただけで見分けて曲げていくのに、それ相応の熟練と勘が必要です。
このような仕事も今では、日本全国に3人~4人位しかいないそうです。

県伝統的工芸品指定
近江に育った良質の竹を、永く受け継がれて来たすぐれた技術に新しい感覚を加え、竹の美を失わずに造られた伝統工芸品です。
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江州葭

江州葭

 かつて古事記や日本書紀では日本の事を「豊葦原の瑞穂の国」と表しています。
近江八幡で産出されるヨシは江州葭(ごうしゅうよし)として品質の良さが全国に知られています。
現在では、伝統的な簾(すだれ)や衝立(ついたて)の他に、封筒や葉書、名刺等といった商品も開発されています。

水郷地帯で刈り取られた葭は、品質も良く江州葭として名高い。
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木珠

木珠

 近江八幡の木珠(数珠玉)の歴史は古く、聖徳太子からその手法を教わったと言われています。
その当時近江八幡を含む蒲生野には良質の材木(桑、梅、桜)が産出されることも大きく要因しており、江戸時代に入ると全国の木珠の殆どが近江八幡で生産されていたと伝えられています。
しかしながら、近江八幡では完成された製品の販売ではなく、半製品状態で京都に卸すといういわば部品屋としての存在であったため、数珠玉暖簾や装身具、調度品等として新しい部品の開発を手がけるなどして、生産量全国の70%を占める堂々たる地位を確立しています。

聖徳太子より数珠製造方法を伝授され、江戸時代には木珠生産日本一となった。
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