近江八幡ライフスタイルツーリズム③
愛すべきヴォーリズの建築と人生

83年間の生涯を人々のために捧げたウィリアム・メレル・ヴォーリズ。彼の手掛けた建築は優しさと温もりに包まれ、彼の歩んだ人生は博愛の精神に満ちています。

近江八幡ライフスタイルツーリズム③愛すべきヴォーリズの建築と人生

ヴォーリズってどんな人?

ヴォーリズは明治38年に滋賀県立商業高校(現在の八幡商業高等学校)の英語教師として来日しました。キリスト教の伝道活動をはじめ、建築会社、医薬品事業、医療福祉、教育分野と幅広く活動を行いました。中でも建築分野での活躍は、今でも全国に多くのファンを有しており、代表作には大丸百貨店心斎橋店や神戸女学院大学、山の上ホテルなどがあります。様々な事業を大成させたヴォーリズですが、驚くべきことに、83年間の生涯を終えるまで個人資産を持つことはありませんでした。ヴォーリズが残した建築とその奥に息づく精神は近江八幡の町に脈々と受け継がれ、市民の心に深く根付いています。

ヴォーリズの生涯年表

□明治13年(1880)10月28日 米国カンザス州レブンワースで生まれる

□明治38年(1905)24歳 近江八幡に到着。滋賀県立商業学校(現滋賀県立八幡商業高校)の英語教師として赴任

□明治41年(1908)28歳 京都三条YMCAの一室で、建築設計監督事務所開業(後にヴォーリズ建築事務所)

□大正7年(1918)37歳 結核療養所「近江療養院」(近江サナトリアム、現ヴォーリズ記念病院)を開設

□大正9年(1920)39歳 メンソレータム(現・メンターム)の輸入販売を開始

□昭和16年(1941)60歳 日本国籍を取得し、名前を「一柳 米来留(ひとつやなぎ めれる)」と改める

□昭和29年(1951)70歳 社会公共事業に対する功績により、藍綬褒賞を受ける

□昭和33年(1958)77歳 近江八幡市名誉市民第1号に選ばれる

□昭和39年(1964)5月7日83歳 近江八幡市慈恩寺町元11の自邸(現在のヴォーリズ記念館)の自室にて永眠

ヴォーリズの建築のここが魅力

ヴォーリズ建築の特徴は、西洋と日本の建築様式を巧みに取り入れ、風情ある町並みと調和していることです。自分らしいデザインを繰り返すのではなく、依頼主の意向や想いを汲みとって、独自に設計していくのがヴォーリズのスタイルと言えます。スパニッシュ洋式と日本の町屋造りの融合が印象的な「旧八幡郵便局」や、英国の住宅に見られるハーフティンバーという技法を用いた「旧伊庭家住宅」など、特徴の異なる建築が今も残っています。共通するのはいずれも優しさや温かさに溢れていること。特長とされる丸みを帯びた階段の手すり、建築と物語性のある彫刻を一体化させて世界観を創り出すこと。人の手が触れる場所ほど手の込んだデザインが施され、人を想う気持ちが伝わるヴォーリズ建築は、ただ見ているだけで自然と笑顔にさせてくれます。

ヴォーリズ記念館とハイド記念館

近江八幡でヴォーリズ建築をめぐる際の拠点となるのがヴォーリズ記念館です。ヴォーリズ記念館は、教会や学校、ホテルなど日本全国で1600件にものぼる建物を設計したヴォーリズの自邸を公開したもので、内部には遺品や資料も展示しています。館内でヴォーリズにまつわるエピソードに触れ、図面集などを開きながら建築の話に花を咲かせる時間は楽しい限りです。ヴォーリズ記念館を後にしたなら、すぐ近くにあるハイド記念館を訪ねるのがオススメです。かつての近代幼稚園園舎で、園児たちの過ごしやすさを考え、単窓・連窓が巧みに配し、採光や内部機能に優れた建物であることが評価され、2000年に国の登録有形文化財となりました。

ヴォーリズ建築めぐり

近江八幡の旧市街では、町歩きをしながら数多くのヴォーリズ建築と出会ったり、建物の中でカフェを堪能したりできます。一部ご紹介すると、


○ヴォーリズの初期の作風を伝える「旧八幡郵便局」。スパニッシュ洋式と日本の町屋造りの融合が印象的で、かつては地域のシンボルタワー的存在でした。

○1913年にウォーターハウス家族の住居として建てられた「ウォーターハウス記念館」。ヴォーリズゆかりの再現料理を楽しめるカフェもオープンしました。


この他にも、ヴォーリズ建築の中でカフェを楽しめるところがいくつかあり、また春と秋には、ヴォーリズ建築をめぐる特別なガイドツアーも催されるなど、ヴォーリズ建築の楽しみ方は広がりを見せています。あなたらしい旅のカタチをぜひ見つけてください。

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